肥後國人吉荘
ひとよしのしょう
(空中写真:KU-76-8 C8-15)
所在地
本荘=熊本県人吉市付近
東郷=球磨郡山江村・相良村・錦町付近
●人吉市願成寺町から城本町にかかる地域が荘域の中心で、球磨川の北岸は山江村・球磨村渡地区・相良村柳瀬地区まで、南岸は球磨村一勝地地区までと思われる。 ●寛元2年5月15日実施の中分線の位置=本荘東端の願成寺北の新山不動あたりから北に向かって、狩所・天神森・善生院・小林・鬼木を含む地域から、鬼木川に沿って、山田川との合流地点の泉田の落合に至り、そこから西に向かって、青井阿蘇神社北側の村山に沿って万江川に至るまで西行した線と考えられる。(南方分を基準)
立荘時期
?
荘の構成
本荘、東郷それぞれに起請田、出田、新田あり
成立形態
従来の説=寄進地系
現在の説=球磨御荘の再編成(片寄せ)
本家・領家
蓮華王院領、八条院領、得宗領、皇室領
史料初見年
1197(建久8)年
略歴
鼓ヶ峰遺跡発掘現場 左の後姿は郷土史家の種元さん
11世紀
平河氏入部、永吉荘司になる
建久の図田帳
人吉荘:600町
本所:蓮華王院
領家:八条女院
預所:対馬前司中原清業
下司:人吉次良
政所:須恵小太郎
地頭:合志九良
藤原茂綱
久米三郎
尼西妙
元久2(1205)年
相良長頼、地頭職補任
寛元2(1244)年
本荘の中分、(北方分地頭職を得宗家に奪われる)
出典
―省略― (文献目録のページをご覧ください)
Copyright(c) 2001-2009 Yumechiyo All rights reservedwebmaster@yumechiyo.jp